緒方貞子著書からの抜粋 ・・・・・・・・/ 大貫浩の感動推奨 ■□■□■ 世界へ出ていく若者たちへ 1997年 ■□■□■ ![]() 人間は仕事を通して成長していかなければなりません。その鍵となるのは好奇心です。常に問題を求め、積極的に疑問を出していく心と頭が必要なのです。仕事の環境に文句を言う人はたくさんいますが、開かれた頭で何かを求めていく姿勢がなければなりません。 私が国連難民高等弁務官に就任し、組織改革と職員の能力向上プログラムに取り組んでから六年半になります。私は国連機関をサービス機関だと考えています。世界に対してサービスを提供するのが役割ですから、役に立つサービスをしなければ存在意義はありません。 私が心がけているのは、現場事務所の裁量を増やすことです。任せられる裁量の大きさが仕事への動機づけになるからです。それが自ら問題設定をして取り組む姿勢につながります。裁量が少ないということは責任も少ないということで、そうなると職員は現場ではなくジュネーブの本部の方を向いて仕事をするようになります。なかには外交官気取りで、首都の事務所にどっかりと腰をおろしているだけの職員がいますが、そういう姿勢はたたき直そうというのが私の方針です。 若い職員には必ず現場に出てもらいます。ジュネーブにずっといたい、という希望は基本的に聞き入れられないし、そういう人物は採用しない。危機的状況下で決断を繰り返す経験が必要だからです。 国際機関で働きたいと思っている人だけでなく、日本のあらゆる若い世代に、「何でも見てやろう」 「何でもしてやろう」という姿勢を意識的に持ってもらいたいと思います。冒頭で、疑問を出していく心と頭が必要だと述べましたが、日本人は答えはきっちりと出すが、問題を出してこないという欠陥があるように思われます。 私が米国に留学していた1956年、ハンガリー動乱が起きました。しばらくすると私がいた大学や、暮らしていた町にハンガリー人が移り住んできました。米国というのは、世界の政治変動や紛争を身のまわりの出来事として意識させる国です。日本にいると、残念ながら世界の動きを現実のものとして感じる機会はきわめて少ないのです。ここ2,30年でかろうじて日本の若者が現実感を伴って世界に関心を持ち得たのは、カンボジア難民と天安門事件ぐらいではなかったでしょうか。 国際問題だけでなく、国内問題でも同様です。日本のように国内の貧富の格差や人種問題が少ない国は、例外的と言っていいのです。もちろん、貧富の格差や人種問題などは少ない方がいいのですが、社会的、政治的問題意識が育ちにくいという意味では不幸なことだといえましょう。とすると、日本人は意識的に世界各地にある厳しい状況に関心を寄せ、身を置く努力をしなければならないのではないでしょうか。 上智大学で教えていた80年ごろ、当時のヨゼフ・ピタウ学長は、学生にカンボジア難民キャンプでの支援活動に行かせました。「奉仕の結果、カンボジア難民には得るものがないかもしれませんが、学生が得るものははかりしれない」とおっしゃっていました。大学はこの活動に単位を与えました。 その後、学生の一部にフィリピンのスラムで活動するグループが生まれたりしました。こうした取り組みを、教育現場が積極的に仕掛けていかないと、放っておいてはチャンスは巡ってこないのです。 21年前に私が日本政府の国連代表部公使として初めて外交の世界に接したころと比べて、国際社会で仕事をしている日本の外交官や国際機関職員は積極的になってきたと感じます。 かつて日本外交官は「スマイリング(薄笑い)、スリーピング(居眠り)、サイレント(発言しない)」の3Sなどと言われていました。 しかし、スリーピングは世界共通としても、はっきりと意見を言わずにあいまいにニコニコしているだけの日本外交官は今や見かけなくなりました。ただ、決断が遅い、という傾向は今も変わらないように見えます。国際会議などで日本の外交官は、他国がどうするかを調べるのが先、という訓練を受けているようです。 コンセンサスという概念も、日本独特のとらえ方をしています。コンセンサスというのは、自然に形成されるものではなく、強力なリーダーシップが引っ張って初めて、形になるものなのです。日本の教育は、平均点がきわめて高い人材群をつくり出します。均等に質が高い。ですが、そこに重きを置きすぎていて、リーダーシップの育成には不向きだ、という印象を持っています。国際社会で、決まったことを実施する力において群を抜く日本が、なかなか主導権を握れず何となくもたもたした国だと見られるのは、この辺りに起因していると感じられます。 国内基準と国際基準を別のものと考えるのも日本の特徴です。各都道府県が持つ緊急時の備蓄食糧を海外の災害現場や難民発生地に提供することができません。国際緊急援助隊が、阪神大震災のときに訓練という名目でしか出動できませんでした。欧米の人間は、自分たちのスタンダード(標準)がそのまま国の内外で通用すると信じています。ですから臆することなく、その標準を国際社会で主張すのです。 国内用と国外用の二種類の制度をつくり、ことさらに「国際貢献」という発想をするのも、日本人が「内」と「外」は違うと思い込んでいるからでしょう。内と外を隔てる制度を取り除けば、国内の取り組みはそのまま世界で十分通用するのです。私はよく「国内・国外一元化」という言葉を使いますが、この一元化なしに国際化もないし、国際貢献も難しいと思っています。ここにも、同じ言語を話し、島国に住んでいる、という「不幸な」環境がからんでいます。社会というのは均質である必要はないのです。 私は高等弁務官に就任するにあたって、日本には人道大国になってもらいたい、という期待を表明しました。いま、キーワードは「ソリダリティー(連帯)」だと思っています。遠い国の人びとに対して連帯感が持てるかどうかが鍵です。 これは日本だけの問題ではありません。対抗文化が影を潜め、大勢順応型といいますか、享楽型の若者が増えているのは、全世界的な傾向です。国外にはもちろん、国内にも連帯を感じる対象を失っているように見受けられます。 人間としてのソリダリティーの感覚を持った層を広げていかないと、それが政府の姿勢にも必ず反映します。途上国に対しての主体的な協力をしなくなります。 例えば、ザイールという国がなくなってしまおうが、そこに大きな混乱が生じていようが、うちとは関係ありません、ということになっていくのです。 実は私も、アフリカとかかわりを持ったのは高等弁務官になってからです。毎年アフリカ統一機構(OAU)の年次総会に出席するのをはじめ、年に三回はアフリカの各国を回ります。UNHCRの事業の約四〇パーセントがアフリカ関連であるという事情もあります。 最近感じるのは、この仕事に就かなければ、ツチ族とフツ族が何かということさえ知らず、関心もないままに生きていたかもしれない、ということです。世界のさまざまなできごとに身をさらさなければ、現実感、ひいては連帯感を持つことは難しい。現場に出て初めて問題点がくっきりと見えてきた、という経験を私は何度もしているのです。 私は、国の内外を問わず、自分で歩いていることを、若い世代にすすめます。私自身は米国留学中に国際関係論を勉強し、帰国後、日本の政治外交史を専攻しました。日本が国際社会で歩んだ道をしっかり学んでおきたいと思ったからです。留学経験が逆に日本への関心を呼び起こしたのです。このころに、私は自分の中での国の内と外を隔てる壁を低くすることができたと感じています。 もうひとつ、若い世代に申し上げたいことは、国際社会で言葉はとても大切だということです。しっかりした言語能力がなければ、実のある活動はできません。自分の意思を伝えたり、用を足す手段としてだけに考えず、相手の文化を学ぶ材料だととらえるべきです。 さまざまな言い回しに、その言語を生んだ文化がそのまま表れているのです。言語とは文化であることを自覚して学び、使うことが必要です。言語を通して開ける新しい世界、ひとつの文化、別の価値体系との遭遇が、遠い国の人々に対して連帯感を持つことにつながります。 |