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                  GROUND ZERO in NYC  2004/06        by Ohnuki
  世界を震撼させた911のテロからもう、3年近くが経とうとしている現場近くは今でも、爆心地の傷跡を見ようとする観光客、あるいは慰霊をする人などが訪れる場所となっています。

 当初は整理券が必要だったと聞くグランドゼロの見学も、現在では一段落して、周りにフェンスが張り巡らされている中で、復興工事が着々と進められていました。 
 星条旗が掲げられているのは、やはりアメリカらしいのでしょうか。
 
 6棟の建物で構成され450ほどの企業が入り、5万人が働いていたワールドトレードセンターが炎と崩壊の中で、逝ってしまった無念の人たちに たむけられた十字架は、WRC1の鉄骨の残骸を利用して建てられていました。
背後に見える建物は 崩壊したワールドトレードセンターに続きウォーターフロントの再開発を計画1980年代に建設されたWorld Financial Centerです。
     post WRCの建設に向けて、地下部分の工事が進められていました。

跡地には2006年9月までに、世界最高層の531メートルのビルを中心とした数棟が建設されることが決まっています。
  左側のビルが N.Y.Telephone Building 。1926年に建設されたもので、ゾーニング法に基づいて特徴的なマンハッタンの摩天楼が造られた1920年代のビルです。
    工事が進む風景。
 
 工事現場の向こうにミノルヤマザキのWTC(ワールドトレードセンター)とは一際違う外観・構成の World Financial Centerを望む。 

以前はWTCから連絡通路によって繋がり、鉄骨造の屋内に16本のヤシが植えてあるアトリウムになっています。ハドソン川の眺望が良いところです。
    被害が大きかったのかリニューアルを兼ねてか今も工事中の Bankers Trustビル。
  損傷が激しかった Bankers Trust の隣のビルも修復工事が続いていました。
マンハッタン島は岩盤で地震の心配がない、したがって風圧と自分の重さを支えられれば良いので、デコレーションを剥がせばスリムな鉄骨が見えてくる。
 かつてWTCの地下には,大きなショッピングモールや駐車場,地下鉄駅があった.
6階層下の地下鉄駅では奇跡的に被災者がなかったそうですが。PATH train(ニュージャージー方面)と地下鉄は復旧しています。 
 その駅へのコンコース。仮設っぽい感じではありますが。 
 1977年に竣工、ミノル・ヤマザキの 設計であったワールドトレードセンターがこの様な残骸を曝すことになると、誰が思ったでしょうか。特殊な構造であった外核の鉄骨が無残に崩壊してしまいました。
 勇敢に活動し、多くの犠牲者を出した FDNYの人たちの姿の写真が、現場のフェンスに記録されていました。日本でTVを眺めてましたが、現場では臨場感があって、改めて惨状を思い起こしました。
 煙と粉塵が漂う廃墟の中で、呆然とたたずむ人。その空虚なシーンが伝わってくる、やはり現場に掲示されていた写真です。 
 高さ411mのグラスボックス、在りし日のワールドトレードセンター、WRC1(北棟)とWRC2南棟
ツインタワーです。
2001年9月11日の午前8時46分に最初の機がWTC1:タワー北棟に衝突(93-98F)した。
その後、10時28分上部崩落が始まる。
WTC2:タワー南棟に 9時02分、2機目が衝突(78-84F), 9時59分 倒壊する。
 Fire Department of New York(ニューヨーク消防署)は911以来、出動の時以外は出入り口のシャッターは閉められることになったそうです。
分署なのでしょうか、左側がはしご車(Radder)、右側に消防車(Engine)が格納されている筈です。 
 消防士に感謝し、称える、子供が描いた思われる絵が、消防署の壁に貼ってありました。
今にもアメイジング・グレイスが 流れてきそうな気分でした。 
 その時にはきっと、フル稼働したに違いない消火栓が、現場近くに ひっそりとありました。
 爆心地から移された傷だらけのモニュメントが、バッテリー・パーク に移されて在りました。
手前の丸い部分には炎が燃えているのは、追悼の証でしょうか。
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